光明と烏哭、烏哭とカミサマの話は色々としんどかった
今更ですがこの話をします。
というのもつい先ほど決行された某はま寿司オフ会で光明と烏哭の話になり、自分の解釈がとてつもなく異端であることを初めて自覚したため、これはまとめておかないと後々自分の解釈がわからなくなると思ったんですね。
ってことでとりあえず注意事項。
・筆者はmnkr作品についてBUS以外、漫画はたぶん全部読んでます。
・普段はひたすらWA、特に1巻について延々と考えてる根っからの異端。
・最遊記については原作漫画のみ履修。と言いつつリロブラは間に合ってませんすみません。
・無印リロード外伝異聞までは読んでるし手元にある。
・その他はドラマCD(あるのかすら知らん)アニメ舞台に至るまで一切他展開には触れていません。
多方面展開が苦手なもので。そのせいで余計に歪んだとも言える。
一応手元に漫画を置いて話をしてますが万が一違ったらご指摘お願いします。
【追記】
書きながら自分が過激すぎて死にたくなったんですが色々と気持ちのやり場がなくてどうしたらいいのかわかんないです。ははは。
まず大前提として、どうして光明と烏哭の二人をまとめた呼称が「月闇」なのかがわからない、ということから話を始めようと思います。
この略称の成り立ちについて知らないのですが、決して、決して個人を責めるつもりはないです。
解釈の違いの問題で納得できないんだろうなというだけで。
というのも「月」はわかるんですよ。
リロード3巻でも何度も光明のことが「月」だと示唆ないし比喩として名言されてますし。
ただ、烏哭が確実な「闇」かどうかって微妙だなと。
「その光はまるですべてを呑み込むようだった」
という言葉から察するに、もはや光明の前における烏哭は闇にすらなれないんじゃないかと。
光に呑み込まれてしまうわけですから。
寧ろ光明の後を無自覚に追って(生前にしろ死後にしろ)勝手に影に入ってるだけなのかなって思っちゃうんですよね。
じゃあ「月」と「闇」という言葉はどんな関係と取れるのか。
同義語でもなく、対義語でもない。
同じ系列の言葉でもなく、じゃあ何なんだろって。
……ってここまで書いたんですが先生が歌劇伝のDVD記事で「月闇」という名称を用いていたのでさらにどうしていいかわかんなくなりました。
「光明の残した光(三蔵一行)を黒点で焼き尽くして闇に飲み込む」
(コピペしていいのかわかんないのでざっくり要約しましたお手数ですが「最遊記 月闇」で検索をして歌劇伝のDVD発売の時のブログを読んでください…)
つまり「月」である光明を烏哭が「闇」でかき消すとしつつも三蔵一行という別の要素が挟まってるんですよね。
二人を指し示す言葉なのか、それとも関係性を指し示す言葉なのか……あれ、というか、うーん、というか。余計わかんなくなった。
……めんどくさいオタクでいるのがしんどくなってきたので、最遊記に関してはまたゆるっと頭を使わずに読むROM専に戻ります。
好きであればあるほど深掘りしすぎて公式と自分の解釈が合わなくなった瞬間がしんどいんですよね。
どれを「最遊記」という作品の正史として捉えるかだと思うんですが。
これまでの派生作品、先生の発言、全てと捉えるのか、あるいは最初に出た漫画をあくまでも原典であり正史ととるのか。
やはりオタクは同じ業の中で生きるしかないんですかね。
人生で何度かこれと同じことをやらかしてしんどくなってるので。
心が折れたのでカミサマの話はまた今度。
個人的にはカミサマ編が本編の中では一番好きです。
たぶんこっちはそんなに変な話にはならない、はず。